2009年

 

<風響社通信 No.20> 2009年1月1日


 新春のご挨拶を申し上げますとともに、通信20号をお届けします。今年もどうぞよ

ろしくお願いいたします。



1,新刊のご案内


 ◎『モンゴルのアルジャイ石窟』(楊海英著、5000円)は6月下旬刊行しました。

 ◎『日本人の中国民具収集』(芹澤知広・志賀市子編、2000円)は9月上旬刊行しました。

 ◎『〈池間民族〉考』(笠原政治著、2500円)は10月下旬刊行しました。

 ◎『韓国朝鮮の社会と文化 7号』(韓国朝鮮文化研究会編、3500円)は10月中旬刊行しました。

 ★『ブックレット《アジアを学ぼう》』(第2期、全5冊)は11月上旬刊行しました。以下はそのタイトルです。

 ◎8『演技と宣伝のなかで 上海の大衆運動と消えゆく都市中間層』(岩間一弘著、800円)

 ◎9『バンコクの高床式住宅 住宅に刻まれた歴史と環境』(岩城考信著、800円)

 ◎10『タイの開発・環境・災害 繋がりから読み解く防災社会』(中須 正著、800円)

 ◎11『国民語が「つくられる」とき ラオスの言語ナショナリズムとタイ語』(矢野順子著、800円)

 ◎12『境界の考古学 対馬を掘ればアジアが見える』(俵 寛司著、700円)


 ◎『オセアニアの人類学』(須藤健一著、4000円)は12月下旬刊行しました。



2,新シリーズ《あじあ選書》準備中


 風響社もおかげさまで年輪を重ね、この1月には創立18周年を迎えます。そうした中で、従来の純学術書の枠組みには収まりきらない原稿がいくつも寄せられるようになり、この際、新たなシリーズとして刊行していくことといたしました。


 名づけて「風響社あじあ選書」、当初のラインアップは以下の2点です。


 上田 信著『ペストと村 七三一部隊の細菌戦と被害者のトラウマ』

 井口淳子著『老師の恋 中国農村肖像画』


 いずれも、優れたフィールドワーカーが描くモノローグ的著作であり、インフォマントや歴史や読者との重層的な対話が配置されたダイアローグ的著作でもあります。


 豊富なフィールド体験と研究生活から紡ぎ出された深い共感の眼差しをもってアジアを見る時、どうしても避けては通れないテーマがあります。


 そうしたやむにやまれぬ主題を、研究書のプロトコルに制約されない自由なスタイルで描く、これがあじあ選書の方向です。


 まだ予告には至りませんが、いくつかの力作も執筆過程にあり、社主自身もわくわくしつつ準備しているところです。


 出会い系の風響社ゆえ、不定期の刊行となりますが、どうぞ請うご期待。また、これまで同様、皆さまからの篤い熱いご提案もお待ちいたしております。



3,近刊予定のご案内


 ◎『台湾原住民研究 12号』(日本順益台湾原住民研究会編)

 ◎『生命観の社会人類学 フィジー人の身体・性差とライフシステム』(河合利光著)

 ◎『社会変動と宗教の〈再選択〉 ポスト・コロニアル期の人類学研究』(宮沢千尋編)

 ◎『神々の足音 漢人社会の礼楽文化と宗教』(鄭正浩著)

 ◎『ヒンドゥー女神の帰依者ヒジュラ ジェンダーと宗教の境界の人類学 』(國弘暁子著)

 ◎『〈他者/自己〉表象の民族誌 ネパール先住民チェパンの人類学的研究』(橘 健一著)

 ◎『革命の実践と表象 中国の社会変化と再構築』(韓 敏編)

 ◎『内モンゴル自治区の文化大革命 モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料(1)』(楊海英編)

 ◎『ベトナム文化人類学文献解題』(末成道男編)

 ◎『ベトナム少数民族の系譜認識』(樫永真佐夫著)

 ◎『未完に終った国際協力──マラヤ共産党と兄弟党』(原不二夫著)

 ◎『中国人の食事文化』(西澤治彦著)


 その他、遅れ気味のものも鋭意準備中です。


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 いずれも、詳細は小社ホームページをご覧下さい。

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【後記】

 社員犬タローもこの15日に元気に還暦となり(12歳!)、本通信もようやく20号の節目にたどり着きました。


 HPを作り公開したのがちょうど10年前の秋、通信1号が明けて2000年の元旦。あの頃は、毎月更新、毎月通信、のつもりでいたのですが、すぐに頓挫。今や半年に一度がせいぜいという、ブログ全盛の今日には考えられないポンコツ・ネットワーカーとなり果ててしまっています。


 DTPやインターネットという技術も陳腐化が甚だしく、一瞬ですがIT技術においては出版界の最先端を走っていた小社の優位性はもはやなくなったと言っていいでしょう。


 その分、既刊本の積み重ねという古典的なアドバンテージがいつの間にか育っていて、巨大なメディアの中でささやかな活動を営む原動力となってくれているのは、皆さまとの思いも寄らぬ幸運な出会いによるものです。深謝。


 さて、そのポンコツ・ネットワーカーが最近ちょっと注目しているのが、「あのひと検索SPYSEE」というサイトです。


 http://spysee.jp/


 人物情報をウェブ上から捜して整理提供するサービスです。セマンティックウェブとやらいう方法で、いわば文脈・文意を加味し整理してくれるので、グーグルなどのいわゆる全文検索とは一味違う情報が得られるようです。


 面白いのは、検索するとその人物に関係ある人たちが、その疎密によって図示されることです。もちろん、ウェブ上にある情報(共著などのように名前が並んでいる等)のみを下敷きにしているので、赤裸々な人間関係というわけではありません。


 でも、「へぇ」というような人たちがつながっていて、興味深いものがあります。


 もっともこれは他人事だからで、もし社主なんぞが登録された日には、ただちに削除をお願いしようかと思います。我が身に照らすとネット情報がいかに偏頗なものかは、皆さまも実感されるところとは思います。


 たとえば小社刊行物のアマゾンでの売れ行きなどは全体の売上げからすれば数パーセントにも満たず、学術書特有の公費購入などは一切含まれていないわけですから、統計データにもならない偏った数値です。


 その数字が一人歩きをして、この本は売れてるとか、案外人気ない、などと受け取られていくのは、まさにネット風評の一種ともいうべき事象でしょう。


 ただ、「点描法」ではありませんが、ネットに浮遊する情報を丹念に拾い並べていくと、等身大の像が結ばれるという時代は案外近いようにも思います。


 まだ心の準備、制度の整備は出来てはおらず、悪意ある操作者に恣意的に踊らされる危険の方が目前なのかもしれません。なるべく尻尾を掴まれないようにしたいものです。


 一方で、よく考えれば「等身大」などという認識はもともとあり得ない話です。所詮他者の片々たる認識の総和が社会における「存在」なのでしょうから、九尾の狐ではありませんが、いろんな尻尾を出して「自画像」を作り出すという戦略を持った方が実際的とも思えます。


 もともと「自発的バランスシートの破れ」という経営理論(?)に身を置く小社ですから、出してる尻尾も小さいこと言うまでもありません。せいぜいこの通信など使って、攪乱戦法をとるとでもいたしましょう。


 ところで、カレンダーをめくって気づいたのですが、明治維新(1868)からいわゆる15年戦争の端緒となる満州事変(1931)までは63年になります。司馬遼太郎の「坂の上の雲」が具体的にどのあたりを指すのか分かりませんが、維新からの近代化の途上に差す翳りは、ほぼ還暦という年月を経ていることになりましょう。


 これを自らの世代に当てはめてみると、終戦(1945)という「変革」からちょうど63年目にあたるのは昨年(2008)でした。なにやら制度疲労のサイクルは似ているのかもしれません。


 金融不況の中で、さらに暗雲たれこめる気配もありますが、なんとか今度の翳りは社主のお腹と同様、「坂の上のポニョ」ぐらいにとどめておいてほしいものです。



 今年は、昨年来の積み残しの仕事が多くて、とても抱負など考える余裕もありません。


 寄託された品格ある著作群に恥じない版元として、せめて、「格はないけど品がある(ありそうだ)」と言われてみたい、そんなささやかな希望があるのみです。


 皆さまには、どうか平安な一年を過ごされますよう、心より祈念申し上げます。


 また、こんな小社ですが、さらなるご支援を賜りますよう、よろしくお願いいたします。


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<風響社通信 No.21> 2009年7月22日


 暑中お見舞い申し上げます。半年ぶりの通信21号をお届けします。



1,新刊のご案内


 ◎『台湾原住民研究 12号』(台湾原住民研究会編、3000円)は1月下旬刊行しました。

 ◎『モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料(1)』【内モンゴル自治区の文化大革命シリーズ1】(楊海英著、2万円)は1月下旬刊行しました。

 ◎『ヒンドゥー女神の帰依者ヒジュラ 宗教・ジェンダー境界域の人類学』(國弘暁子著、4000円)は2月下旬刊行しました。

 ◎『〈他者/自己〉表象の民族誌 ネパール先住民チェパンのミクロ存在論』(橘 健一著、5000円)は2月下旬刊行しました。

 ◎『社会変動と宗教の〈再選択〉 ポスト・コロニアル期の人類学研究』(宮沢千尋編、4200円)は3月下旬刊行しました。

 ◎『未完に終わった国際協力 マラヤ共産党と兄弟党』(原不二夫著、4000円)は3月下旬刊行しました。

 ◎『ベトナム文化人類学文献解題』(末成道男編、6000円)は3月下旬刊行しました。

 ◎『北東アジアの新しい秩序を探る A New Global Order in North East Asia』(今西淳子・Ulziibaatar Deaberel, Husel Borjigin編、8000円)は3月下旬刊行しました。

 ◎『革命の実践と表象 現代中国への人類学的アプローチ』(韓 敏編、6000円)は4月下旬刊行しました。

 ◎『ベトナム黒タイの祖先祭祀 家霊簿と系譜認識をめぐる民族誌』(樫永真佐夫著、6000円)は4月下旬刊行しました。

 ◎『生命観の社会人類学 フィジー人の身体・性差・ライフシステム』(河合利光著、5000円)は4月下旬刊行しました。

 ◎『漢人社会の礼楽文化と宗教 神々の足音』(鄭正浩著、8000円)は4月下旬刊行しました。



2,新シリーズ《あじあブックス》準備中


 《あじあ選書》に続き、新たなシリーズが生まれます。研究者や大学・学界が発信する情報をコンパクトにまとめ、社会に還元するというもので、名づけて「風響社あじあブックス」、当初のラインアップは以下の2点です。


 安井眞奈美他編『産む・育てる・伝える 昔のお産・異文化のお産に学ぶ』 高倉浩樹・曽我亨編『トナカイとラクダの遊牧民 シベリア・アフリカからの報告』


 今日、多くの研究機関でさまざまなシンポジウムや講演会、イベントなどが行われ、研究成果を社会に還元する活動が展開されています。


 そうしたものの中で、ルーチンに流れない独自性があり、小社と方向性が合致するものがあれば、このシリーズを受け皿に書籍化し、より広範な読者へ送りだしてみよう、という趣旨となります。


 《アジア研究報告シリーズ》が論文集(書き言葉)の受け皿なら、この《あじあブックス》は講演など(話し言葉)の受け皿ということになりましょうか。


 たまたま、同時期に上記2点のお話が寄せられ、それならと風響社得意のフットワークでこしらえた規格です。もう少し手を加えるといいんだけど、とか、これからやるんだけど、というようなお話でも結構です。ユニークな企画のご提案をお待ちしております。



3,近刊予定のご案内


 ◎『ペストと村』(上田信著)

 ◎『東シナ海祭祀芸能史論序説』(野村伸一著)

 ◎『比較日本文化研究 12号』(比較日本文化研究会編)

 ◎『中国人の食事文化』(西澤治彦著)


 その他、遅れ気味のものも鋭意準備中です。


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 いずれも、詳細は小社ホームページをご覧下さい。


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【後記】

 新年のご挨拶以来、すっかりご無沙汰してしまいました。1月から4月にかけて12点ほどの書籍を刊行しなければならないという、小社としては過剰すぎる仕事量に追われ、ホームページの「謹賀新年」を削除する時間もないほどの繁忙期を過ごしておりました。


 一部の原稿が遅れに遅れて年末・年初の入稿ということになったことも重なり、さらに追い込まれたのですが、お陰様でなんとかすべてクリアできました。ご協力下さった著者・執筆者の方々には厚く御礼を、またなにかとご迷惑をおかけしました(そしてまだおかけし続けている)皆さまには深くお詫び申し上げる次第です。


 12点を4ヵ月でと言いましても、編集者とすれば単にスケジュール管理が出来なかっただけの話で、まったく褒められたことではありません。むしろ、印刷所へ渡すためのフィニッシュワークが短期間に錯綜するので、ミスが出る危険性が高くなりますし、外注費も増大し、資金繰りも片寄り、碌な事はありません。


 しかも、多くの方々が努力して助成金を取って下さったのにもかかわらず、支払い地獄が終わるとわが社の通帳は空っぽ。土日もなく半年以上働いてきたのに、と思わず天を仰いでしまいます。加えて、新刊が多いのにこの春は売上げがまったく伸びず、専門書出版がいよいよ最終局面を迎えようとしているのかと思わざるを得ません。


 まあ、それでも関西育ちの根はラテン系、夏の日差しを浴びると生き返ります。この繁忙期のあおりでお待たせしている原稿があるは、新しい原稿が入るはで、例年通り著者が海外調査でいなくなるこの夏場が稼ぎ時と、性懲りもなく「やる気」が出てくるから不思議なものです。(それは能天気っていうんやないの、と突っ込みがきそうですが。)


 そんなこんなで、遅れ遅れの仕事でご迷惑をおかけしている方々にはお詫びを申し上げつつ、老骨にむち打つつもりの社主ではありますので、よろしくお願いいたします。


 さて、新聞などですでにご存知の方も多いと思いますが、日本の出版界にまたグーグルブックスという黒船が到来して、業界はてんやわんやの大騒ぎです。


 要するに、ブックスのサイトに絶版書籍を中心に全頁分のスキャンデータをアップしようという動きがあり、これは小社などでも利用していてとても便利な試みなのですが、問題は、「絶版」に加えて「アメリカで市販されていない本」(ほとんどの日本の書籍がそうです)も対象とされているというので、激震が走ったのです。


 もし、このままいくと、小社発行書籍なども全点がブックスのサイトで全文閲覧可能となり、ただでさえ売れない専門書の販路はほとんど断たれたも同然となりますから、文字通り「死活問題」です。


 幸い、日本で流通している本は「アメリカで市販されている本」に準じ全文閲覧の対象とはしない方向と一応なったため、一息ついたものの、この「米帝!」的な文化資本独占の動きに諸処で憤りおさまらずとて議論は今も活発です。業界活動などする余裕もポジションもない小社は、ただただ論争の行方を見守るしかありません。


グーグル側の見解:

http://books.google.com/intl/ja/googlebooks/agreement/


著作者の見解の一つ(日本ペンクラブ):

http://www.japanpen.or.jp/statement/2008-2009/post_134.html


版元の見解の一つ(出版流通対策協議会):

http://ryuutai.com/


 もう一つ重大な問題がありまして、日本の出版界では著者と出版契約を交わすことが必ずしも一般的ではなく、小社などもあまり契約をしてきておりませんでした。どうせ売れても数百部、印税などもしれたもの、そもそもこちらが逆に印税もらうぐらいでないと採算が合わない、というのが実状だからです。


 でも実は、このグーグル問題が突きつけているのは印税の問題の奥にある、著作権者ないし権利者は誰なのか、という問いなのだと思います。つまり、グーグルに対して、絶版となったから文化貢献のため全文公開を許す、などといえるのは誰なのか、明示しなければならないわけです。


 もちろん、通常の著作権は著者にあり、版元はその出版権を設定するのですが、ネット公開といういわば二次的使用の場合、契約していないから全て著者の権利と言ってよいのかどうかという問題があります。たとえば印刷された頁をスキャンして閲覧させるとなると、その版面を作った版元の権利がどの程度あるのかないのかは、あいまいです。


 それに、物理的な版面だけでなく、造本・目次・タイトルその他本文のすみずみまで、著者との協同で作り上げることは本づくりの過程でよくある光景ですが、これも役割分担を截然としない私達の仕事文化であって、アメリカ的尺度で一概に白黒を決められるものではなかったはずのものです。


 そんな、あいまいなまま動いていくという日本的な古き良き旧習(怠惰な陋習?)がどうやら黒船騒動であぶり出されているわけで、小難しい法律論争など避けてなるべく本作りに集中したい小社なども、いやおうなく対応を迫られている様は、寝耳に水の裁判員制度と同じぐらい面倒なものと、小市民的には言えるでしょうか。


 しかし、小社も含めて旧態依然の出版業界の体質は、どこかの国の政治と同様、ペリーかマッカーサーにでも再到来してもらわないと自己改革などいつの日やら、という体たらくですから、口に苦い劇薬でも飲み干さなければならない時なのかもしれません。


 いやいや、ここは、著作権というか文化の保持転送に別の巨大な伝統文化を持つ中国の発言力増大を待ち、著作権をあたかも金融商品のようにモノ化して切り売りするアメリカ商法と対決してもらう、という歴史的「洞ヶ峠」も手かなとも思いつつ、小社には残り時間がそれほどないかもとため息をつく日々です。


 さてさて、折角の書き入れ時の夏休みが、そんなこんなの法律勉強会ですっかりおじゃんにされそうな社主にとって、最近唯一の息抜きがラテンというマイブームです。


 とは言いましても、ブラジルの仕事がきっかけとなって、近所のスペイン語講座(ポルトガル語がなかった!)に通い始めたり、運動不足解消に通っているジムでラテンダンスのクラスを覗いてみたりするだけの話ですが、アジアとは違う風味を感じてなかなかに心が浮き立つものがあり、思わぬリフレッシュの時間帯となってくれています。


 何ごともそうでしょうが、現場に近づくとさらに情報が目に付き始め、「メキシコ20世紀絵画展」とか、「キューバ映画祭」などつまみ読んでいくうちに、そういえばトロツキーはメキシコで暗殺されたんだったねとか、キューバ革命ももう50周年なんだとか、少しずつ世界が広がっていくから面白いものです。


 ペルー人のスペイン語の先生からは先住民文化のあれこれを教わり、日系ドミニカ人というダンスの先生からは、身体性や身体言語などという概念を文字通り体感させられています。とはいえ、そこはアラ還のこわばった頭脳と身体、眼からウロコの発見も現実の能力には波及せず、さっそうとしゃべり踊るおばさま連の陰でぶつぶつよろよろのぶざまは、ゴミ箱行き間違いなしの画像なのですが……。


 そんなこんなで昼も夜も冷や汗あぶら汗の毎日ですが、上方ラテンから本当のラテン(アメリカ)世界にちょっと足を踏み入れてみて、やはり本物はいいなあ、と思える時間帯があるのが救いというこの頃の私的日常です。


 まあ、秋元順子さんのように長年の努力が実を結んでの「愛のままで」の大ヒットを見ると、気まぐれオヤジの「ワイのまま」お勉強は恥ずかしいかぎりですが、なんとか超初心者を抜け出した暁には、憧れのマチュピチュ訪問ぐらいはかなうかもしれませんね。


 長くなりましたが、よい夏休みをお過ごし下さい。そしてもし懐と時間に余裕が残りましたら、小社の本でも読んでやって下さい。



追伸:小社創設準備中の頃からお世話になった大塚和夫先生がこの春お亡くなりになりました。20日のお別れの会に参列。長年のご厚情に感謝し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。


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<風響社通信 No.22> 2009年11月7日


 通信22号をお届けします。




1,新刊のご案内


 ◎『比較日本文化研究 12号』(比較日本文化研究会編・刊、1500円)は4月下旬刊行しました。

 ◎『ペストと村』【風響社あじあ選書 1】(上田信著、1800円)は9月下旬刊行しました。

 ◎『産む・育てる・伝える 昔のお産・異文化のお産に学ぶ』【風響社あじあブックス 1】(安井眞奈美編、1800円)は9月下旬刊行しました。

 ◎『東シナ海祭祀芸能史論序説』(野村伸一著、3000円)は9月下旬刊行しました。

 ◎文化人類学ブックレットシリーズ(2〜4)

  2『サリー! サリー! サリー! インド・ファッションをフィールドワーク』(杉本星子著、700円)

  3『移民 in オーストラリア 移動をフィールドワーク』(村上優子著、600円)

  4『名づけの世相史 「個性的な名前」をフィールドワーク』(小林康正著、700円)

 は10月下旬刊行しました。

 ◎『韓国朝鮮の文化と社会 8』(韓国・朝鮮文化研究会編・刊、3500円)は10月下旬刊行しました。

 ◎ブックレット《アジアを学ぼう》第3期4冊

 13『ベトナム「おかげさま」留学記 「異文化」暮らしのフィールドノート』(川越道子著、800円)

 14『法廷の異文化と司法通訳 中国籍被告人を裁く時』(岩本明美著、700円)

 15『社員力は「文化能力」 台湾人幹部が語る日系企業の人材育成』(岸 保行著、800円)

 16『自然保護をめぐる文化の政治 ブータン牧畜民の生活・信仰・環境政策』(宮本万里著、700円)

 は11月上旬刊行しました。



2,《あじあ選書》《あじあブックス》刊行


 上記の新刊ご案内にありますように、新シリーズのそれぞれ第一弾が刊行されました。


 《あじあ選書1》『ペストと村』(上田信著、1800円)


 「豊富なフィールド体験と研究生活から紡ぎ出された深い共感の眼差しをもってアジアを見る時、どうしても避けては通れないテーマがあります。そうしたやむにやまれぬ主題を、研究書のプロトコルに制約されない自由なスタイルで描く」これがあじあ選書の方向です。続刊は以下の通り予定しております。(いずれも仮題・近刊)


 井口淳子著『老師の恋 中国農村肖像画』

 池田貴夫著『ウオッカとキムチをどうぞ 体制変化を生き抜いたサハリン朝鮮民族の文化』


 《あじあブックス1》『産む・育てる・伝える 昔のお産・異文化のお産に学ぶ』(安井眞奈美編、1800円)


 「研究者や大学・学界が発信する情報の中で、ルーチンに流れない独自性があり、読者に還元すべきものを選び、より広範な読者へ送りだしてみよう」という趣旨になります。続刊は以下の通り予定しております。(いずれも仮題・近刊)


 高倉浩樹・曽我亨編『トナカイとラクダの遊牧民 シベリア・アフリカからの報告』

 日本建築学会比較居住文化小委員会編『フィールドに出かけよう! 住まいと暮らしのフィールドワーク』



3,『文化の政治と生活の詩学』がW受賞


 2007年12月刊行の長谷千代子著『文化の政治と生活の詩学』に対して、2009年度の日本宗教学会賞、第5回国際宗教研究所賞が授賞されました。


 日本宗教学会のHP:

 http://wwwsoc.nii.ac.jp/jars/J/005_prize/index.html


 国際宗教研究所のHP:

 http://www.iisr.jp/



4,近刊予定のご案内


 ◎『中国人の食事文化』(西澤治彦著)


 ◎『台湾原住民研究 13号』(日本順益台湾原住民研究会編)

 ◎『ベトナムの社会と文化 8号』(ベトナム社会文化研究会編)

 ◎『四川省羌(チャン)族』(松岡正子他編)

 ◎『宮座と当屋の環境人類学』(合田博子著)

 ◎『広東の水上居民』(長沼さやか著)

 ◎『韓国社会の歴史人類学』(嶋陸奥彦著)

 ◎『グローカリゼーションとオセアニアの人類学』(須藤健一編)


 その他、遅れ気味のものも鋭意準備中です。


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 いずれも、詳細は小社ホームページをご覧下さい。

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【後記】

 八幡坂の銀杏や欅が色づき始め、ようやく田端の秋も深まってまいりました。お元気でお過ごしのことと存じます。


 収穫の秋が続いております。新シリーズ二つはご紹介しましたが、ほかにブックレットシリーズが二つ続けて刊行となりました。


 滞っておりました「京都文教大学 文化人類学ブックレット」が、ようやく3冊揃ってお目見えです。もともと高校生に人類学の面白さを分かってもらい、知のすそ野を広げよう、という趣旨で始まったのですが、大学教員は今や雑務と業績点数主義に疲れ果て、啓蒙書などなかなか手が回らないところ、多忙の合間を縫って3点も揃えて頂きました。また続編も準備中とのことです。ポケットの多い人類学者ゆえ、驚きの展開もあるかもしれません。大いにご期待ください。


 もう一つは、第3期となった《アジアを学ぼう》で、今年も4冊なんとか並びました。こちらのシリーズは身分不安定な若手ばかりですので、別の困難が待ち受けます。D論は書いたものの、という高学歴棄民の馬鹿げた状況は経済・社会の見えざる手のなすわざとはまったく異なる、見えざる脳みそ=国策の無策なるが故。政権交代で少しでも光明が見えてほしいものです。


 さて、読書の秋、アマゾンのKindleが日本でも発売とのことで、新しもの好きの社主も早速購入してみました。A5サイズで厚さ1センチ、300グラム足らずと、ちょうど小社のあじあブックス1冊程度。グレーの液晶画面にくっきり映る文字は、秋天好日にハックルベリーフィンの冒険でも読みたくなるような、軽やかで落ち着いた雰囲気。動きは今時の電子ツールにしてはとろいのですが、「読書」のレベルではなかなかいい感じです。


 操作もいたって簡単。ホームページにコンテンツが表示され、ページめくりは左右のボタン一つ。特別な機能はメニューボタンから。カーソルも移動ボタンを上下左右に押すだけ。画面下部にキーボードがあって、メモ入力も出来ますし、イヤホンをつければ文章読み上げやBGMも聴けますから、何冊か放り込んでおけば飛行機や列車の旅にはうってつけでしょう。


 気になるコンテンツですが、どこにいてもメニューからShop in Kindle Storeに入れば、Booksで296,650冊、Newspapersが55、Magazinesが33点の中からいつでも通信購入できます。ちなみに、Books (255,650) /History (21,804) /Asia (1,255) /Japan (555)と、日本に関する歴史書は555点で、丸善や紀伊国屋の洋書売り場に比べて、ちょっと物足りないかもしれません。もちろん、価格は紙の本より数割お得ですが。(数字は10月末現在)


 読書人として言えば(日本語コンテンツが欲しいこと以外では)、操作性ではタッチパネルでもっと本に近づけたパラパラめくりの工夫が欲しいこと、キーワードのハイパーリンクをさせて直接グーグル検索や所有コンテンツの辞書や事典に飛んでほしいこと、単なるリストでなく書棚のような蔵本リスト表示、などなど。要望は尽きませんが、その反面でパソコンにはこれ以上近づいて欲しくないという要求が第一かもしれません。


 さあ、それでは「Kindle 読んどる」してみよう、と上記のHistory /Japanを子細に見ると、半分以上がソ連・ロシアもの。なーんだ。アメリカから見ると、日本もロシアも同じなの、という無神経なお粗末ぶりです。内容も、天心『茶の本』に新渡戸の『武士道』、それに竜之介・晶子、源氏に古事記では、まるでかつての片田舎の洋書売り場同然、これで日本史?! という布陣です。しかも、Storeのどこにも村上春樹はないし……。ああ、「Kindle 出来んどる」ではないですか。


 ただ、ハード・ソフトの現在をどう見るかによって、議論は180度違ってきます。「帝国陸軍」のように、こんな程度では恐れるに足りずと思えばそれまでですが、どちらかといえば海軍びいきの私はこれを「準備完了=恐るべし」と見ています。ハードの更新はiPhoneなど見ても、一瞬にして可能ですし、コンテンツもあんなに著作権にうるさい音楽業界の近10年の動き(CDからダウンロードに)を見ていれば、書籍レベルの「政権交代」などはいとも簡単でしょう。


 読者の地ならしも進んできていますから、後はビッグビジネスにできる枠組みが整うかどうか、いや整えるかどうか、すなわちコンテンツ業界の巨人たちの気持ち一つというところまで来ている、と思われるのです。


 先日も、講談社が小田実全集を電子版でのみ刊行との報道がありましたし、辞書・事典はすでに電子版の時代です。分厚くて高い、しかも全部読むわけではないものから電子化が進むとすれば、次は学術書の番かもしれません。でも、このジャンルは幸い売れませんから(!?) 案外時代から取り残される可能性も大、いやはや時代を読むのは難しい。


 おそらく、読者もやマイケル・ジャクソンなど「笛吹き男(?)」に誘われて次第に紙から電子へと歩み寄り、文字コンテンツが映像その他のコンテンツに組み込まれるような形で徐々に溶解していく間に、アジアや欧米のメーカーが新たなメディアを創りつつ電子ブック市場に続々参入してくるのでしょう。


 零細版元など座して死を待つのみですが、できることなら、やはり、メディア融合の方向ではなく、「本として読む」形を残しながらハード・ソフトを競いあって欲しい、というのが、グーテンベルクの末裔にして昭和出版人の切実な思いです。


 活版技術が急速に移入された明治前期、木版印刷の版元たちはあっという間においてけぼり、基幹技術を乗り換えて生き残れたのはほんの一握りだったのですが、数千社ある日本の出版風景も平成の御代とともに急激に姿を変えていくことになるのだとは覚悟しております。


 小社が果たして生き残れるかどうか分かりませんが、まあ、コンテンツは不滅です。というか優れたコンテンツが不滅なことは自明ですので、残された日々は、出来るだけ多くの優良コンテンツを送り出すことに費やしたいと思うのみです。


 嬉しいことに、上述のように長谷千代子著『文化の政治と生活の詩学』が、2009年度の日本宗教学会賞、第5回国際宗教研究所賞を受賞しました。改めて、本書の内容を高く評価され、刊行に援助を惜しまれなかった多くの方々に御礼を申し上げたいと思います。


 ちなみに、やせ細る文教予算のあおりで採択率が急減している日本学術振興会のいわゆる出版助成に関して、大学出版部協会から以下のアピールが出ています。こうしたデータを見るにつけ、学術書刊行の意味をあらためて考えさせられます。


 http://www.ajup-net.com/top/news0807.shtml


 上記の受賞作はこの学振の採択からは残念ながら漏れたものでした。このことは、この制度が、たとえ優れた内容であっても必ずしも採択できない、危機的段階にあることを図らずも示していることになるのでしょう。


 さてさて、ハロウィンが終わったと思ったら、もうジングルベルです。年度末の仕事が重なっていて、インフルエンザで寝込むヒマもありませんが、学会シーズンに忘年会と「濃厚接触」の機会も増えます。もう社運も人運も天に任せての心境ではあります。


 かなりやけっぱちの通信とは相成りましたが、けして「Kindle で遊んどる」わけではございませんので、どうか引き続きのご支援をよろしくお願いします。


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