2013年

 

<風響社通信 No.27> 2013年1月1日


 新年おめでとうございます。1年ぶりの通信27号をお届けします。今年もどうぞよ

ろしくお願いいたします。


1,新刊のご案内


 ◎『東南アジアの華人教団と扶鸞信仰』(黄蘊著、1月刊行)


 ★ブックレット

  ◎『中国・ミャンマー国境地域の仏教実践』(小島敬裕著、2月刊行)

  ◎『スターリン期ウズベキスタンのジェンダー』(須田将著、2月刊行)

  ◎『デジタル・ヒストリー:スタートアップガイド』(宮本隆史著、2月刊行)

  ◎『ジェンネの街角で人びとの語りを聞く』(伊東未来著、2月刊行)

  ◎『フランス語圏カリブ海文学小史』(中村隆之著、2月刊行)


 ◎『現代マオリと「先住民の運動」』(深山直子著、2月刊行)

 ◎『帰国華僑』(奈倉京子著、2月刊行)

 ◎『客家の創生と再創生』(瀬川昌久・飯島典子編、2月刊行)


 ★あじあブックス

  ◎『フィールドに出かけよう!』(日本建築学会編、2月刊行)

  ◎『タイ南部のマレー人 東南アジア漁村民族誌』(フレーザー 著/岩淵聡文訳、3月刊行)

  ◎『上海 都市生活の現代史』(岩間一弘ほか編著、4月刊行)


 ◎『20世紀におけるモンゴル諸族の歴史と文化』(ボルジギン・フスレ/今西淳子編、3月刊行)

 ◎『内モンゴル自治区の文化大革命 5』(楊海英編、3月刊行)

 ◎『ミャオ族の歴史と文化の動態』(鈴木正崇著、4月刊行)

 ◎『グローカリゼーションとオセアニアの人類学』(須藤健一編、8月刊行)

 ◎『チベットの文化大革命』(ゴールドスタインほか著・楊海英監訳・山口周子訳、9月刊行)

 ◎『比較日本文化研究 15』(比較日本文化研究会編、9月刊行)

 ◎『韓国朝鮮の文化と社会 11』(韓国・朝鮮文化研究会編、10月刊行)


 ★ブックレット

  ◎『もっとアジアを学ぼう』(水口拓寿・胎中千鶴編、10月刊行)

  ◎『チベット人の民族意識と仏教』(日高俊著、10月刊行)


 ◎『ふるさと・フィールド・列車 台湾人類学者の半生記』(呉燕和著・日野みどり訳、12月刊行)


2,近刊予定のご案内


 ◎『生をつなぐ家』(小池誠・信田敏宏編)

 ◎『テレビが映した「異文化」』(白川千尋著)

 ◎『景観人類学の課題』(河合洋尚著)

 ◎『台湾における民衆キリスト教の人類学』(藤野陽平著)

 ◎『ウズベキスタンの聖者崇敬』(菊田 悠著)

 ◎『世界遺産時代の民俗学』(岩本通弥編)

 ◎『国民語の形成と国家建設』(矢野順子著)

 ◎『東南中国村落社会における伝統のポリティクス』(川口幸大著)

 

 予定が多くて錯綜しておりますので、とりあえず、最終工程に入ったもののみ記載

します。その他、遅れ気味のものも鋭意準備中です。



3,電子書籍の発行


 ◎『客家』(瀬川昌久著)

 ◎『葬儀の植民地社会史』(胎中千鶴著)


 今春、評価の高い品切れ書籍2点から、まずお届けします。



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 いずれも、詳細は小社ホームページをご覧下さい。

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【後記】


 明けましておめでとうございます。なんと1年ぶりの通信となってしまいました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。


 おかげさまで昨年もなんとか新刊を20点ほど出すことができました。もっと頑張らねばならないのですが、体力や気力、資金繰りもあってこれが精一杯というところです。いろいろな「稿債」でご迷惑をおかけしている方々には、今しばらくご容赦下さいますようお願い申しあげます。



 さて、上にも記しましたが、小社でもようやく電子書籍を刊行する運びとなりました。まずは好評をいただいた新旧の品切れ本の電子復刊からとなります。まだまだメディアも混戦状態ですので、とりあえずは小回りのきく小さなサイトでそろりデビュー。状況を見ながら、アマゾンその他にも出荷するつもりですので、お楽しみにお待ち下さい。


 読者サイドからは(私も含め)実に面白い時代となりましたが、版元からすればいささか不安な時代の到来です。それは、出版という行為が業界から大衆へ解き放たれることを意味するからです。


 従来の出版では、大量複製技術としての印刷工程を経由するため、大部数を製作するにはもちろん、少部数の製作にも(大量複製を基本とするため逆進的に)それなりのコストがかかりました。


 出版社は企画・編集という側面以外に、このコストをまずは製作時に一気に前払いし、それを売上げによって徐々に回収していくという、一種の資金のダム的な役割を果たしていたのです。


 少なくとも100万円単位でかかるこの初期費用のため、出版は一般市民には容易に手が出せない業務として、ながく専門業者の独占するところとなってきました。


 ところが電子書籍の場合、複製は基本的にコストゼロですから、原版を作りさえすればあとの資金は不要です。コミックでも論文でも、オリジナルを作りさえすれば、簡単に「出版」が出来てしまう、業界にとっては恐ろしい時代になったというわけです。


 まあ、じゃぶじゃぶ1万円札を刷るような感覚でしょうか。どこかの首相ではありませんが、欲しいだけ出てくる魔法の財布が生まれたということになります。ただ、書籍はお札と違って必要とする人数がおのずと限定されてますので、需要と供給が「内容」によってのみバランスする、逆に言えば著者にとっても恐ろしい時代の到来、なのかもしれません。


 ただ、当面はアマゾン等の動きを見ていましても、一気に大衆化とはならないようです。出版社の提供するコンテンツを商品として販売するという範囲におさまっていますし、所詮は商売ですから、たくさん売れる商品にのみブロードウェイが開かれるわけでしょう。


 もちろん、初音ミクの活躍やニコニコ動画の繁盛ぶりをみていますと、自作の味を知った市民がネットにどんどん作品を上げてゆき、われわれの業界は徐々にその棲み場をなくしていくというシナリオはもはや必然に違いありません。


 そのわずかな猶予期間の中で、小社としては出版業としての電子書籍の可能性を見極めつつ、次の時代に必要とされる業態を探っていく作業を行わなければなりません。インフレや震災、あるいは戦争(?)という急激な社会変化の中で、倒産あるいは廃業してしまう可能性もありますが、明日は分からぬ凡夫ゆえ、今日やることをやっていくしか道ないと思い知るべきなのでしょう。



 さてまた、ビッグデータの時代の到来によって、個々のコンテンツの意味が変わろうとしていることも見逃せません。先人の業績の上に新知見を加える学術論考はもちろん、オリジナリティを主張する文学・芸術なども、膨大な過去の作品群からまったく無縁に独創的に生まれてくるわけではありません。


 学生のレポートの引用(丸写し)をチェックするソフトがあるように、この言い回し、この場面、このストーリー、すべて過去の作品に紐づけられて晒される、「オリジナル度測定ソフト」もすぐに作れそうな時代です(あるいはすでにある?!)。


 学術界には厳格な引用ルールがあり、文学・芸術にも「本歌取り」とか「パロディ」とか「メタフィクション」などさまざまな洗練された手法がありますが、今後はビッグデータの大海の中で、無意識下での「引用」「影響」の度合いまでもが測られていくことになるのではと想像されます。


 そうした時代において版元の役割があるとすれば、それはやはり「編集力」ということになるでしょうか。適切な引用か剽窃か、パロディかパクリか、オリジナリティは何なのか、それらは、著作権などというあやふやな法の解釈などではなく、また、ビッグデータをググるのみでもない、今現在を生きている人間の感性や倫理性が重要な基準となっていくべきように思われます。



 ネトウヨとか中国のネット大衆の姿を見ると、ビッグデータならぬビッグピープルの動向も気になります。安価になったとは言え、ネット参加には一定のコストがかかりますし、文字を扱える人の特権でもあります。その上での合意形成のルールや少数意見の尊重規範が形成されて欲しいものです。


 国家や企業の恣意的な誘導、監視、改竄なども、技術の進化によってより簡単になるでしょうから、市民の側からの逆監視システムも早急に強力に形成していく必要があるでしょう。


 コストという「摩擦係数」がゼロに近いネットの世界は、あらゆることが超高速で行われます。生身の人間同士では起こりえない、なしえないことが簡単にできる世界がリアルな世界を凌駕しつつある時代に私たちは生きていることになりました。ネットの中は地雷だらけ、いやはや、恐ろしい時代になったものです。


社主なども、話の種とばかりにFacebookやらMixiやらTwitterなどやってはいますが、酔っ払って書き込んだあげく「炎上!」という恐れも十分ですし、ネットに浮かぶ宇宙ゴミのような発言の数々が、やがて社主個人にすべて紐づけられたらと思うと、初夢もなんだか冷や汗まみれとなってしまいそうです。



 まだまだ捨てたものではないこの世であることを望みつつ、この一年をまた歩んでゆきたいと思っております。どうかさらなるご支援・ご指導をお願い申し上げます。


 本通信の読者の皆さま、そして震災からの復興途上の方々には、本年が希望の年となりますよう、心より祈念いたしております。



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<風響社通信 No.28> 2013年7月1日


 半年ぶりの通信28号をお届けします。今年もどうぞよろしくお願いいたします。


1,新刊のご案内


 ◎『生をつなぐ家』(小池誠・信田敏宏編)

 ◎『テレビが映した「異文化」』(白川千尋著)

 ◎『景観人類学の課題』(河合洋尚著)

 ◎『台湾における民衆キリスト教の人類学』(藤野陽平著)

 ◎『ウズベキスタンの聖者崇敬』(菊田 悠著)

 ◎『世界遺産時代の民俗学』(岩本通弥編)

 ◎『国民語の形成と国家建設』(矢野順子著)

 ◎『東南中国村落社会における伝統のポリティクス』(川口幸大著)


2,近刊予定のご案内

 

 予定が多くて錯綜しておりますので、とりあえず、最終工程に入ったもののみ記載します。その他、遅れ気味のものも鋭意準備中です。


3,文化人類学ブックレット完結


京都文教大学の改組により、この4月から文化人類学科がなくなりました。それにともない、文化人類学会と小社のタイアップ企画であった本シリーズも「完結」ということになります。当初の構想からはかなり逸脱したものとはなりましたが、一学科による文化人類学に特化したシリーズという試みそのものは大胆かつユニークなものであったと思っております。ちょうどきりのいい10巻とはいえ、ブックレットという規格としてはミニマムな規模です。学科の支援もいただいたものの、トータルで採算が取れるまでにはいささか厳しい道程です。


ブラジル日本移民シリーズの現地事情による中断は一昨年でしたが、著者サイドの都合によるこうした企画の廃絶は、ままあることです(版元側の事情ならそれこそ経営悪化の兆しでよからぬ風評を呼びますが)。読者の苦情殺到というぐらいなら、こういう事態も版元の負担で乗り切れるわけです。とはいえ、続編を心待ちにされていた読者の方々には深くお詫びする次第です。


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 いずれも、詳細は小社ホームページをご覧下さい。

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【後記】


 ブログにも書きましたが、年度末の繁忙期が終わり、ちょっと気になっている映画をいくつか見つけています。


『セデック・バレ』。日本の植民地時代に起きた、台湾原住民の大規模な武装蜂起、いわゆる「霧社事件」を描いた作品。

http://www.u-picc.com/seediqbale/


『李藝 最初の朝鮮通信使』600年前、足利将軍に派遣された最初の通信使の足跡を、釜山から京都まで追うドキュメンタリー。

http://rigei.pro


『コン・ティキ』ノルウェーの人類学者ヘイエルダールがインカ文明とポリネシア文明の繋がりを証明するために、自ら筏に乗って太平洋を渡った1947年の大冒険を映画化。

http://www.kontiki.jp


『台湾アイデンティティ』日本統治期に日本語を母語とすべく教育を受けた台湾の人々。すでに老境に入った彼らの人生を台湾、ジャカルタ、横浜で追ったドキュメンタリー。

http://www.u-picc.com/taiwanidentity/




このうち『李藝 最初の朝鮮通信使』は観ることができましたが、恐るべし韓流! 主演ユン・テヨンがお目当てと思われるおば様たちがどっさり。隣のご婦人たちの話を漏れ聞いても、新大久保はもちろん、韓国語や韓国旅行もクリアして、いまや韓国史にもかなり精通とお見受けするほどです。


 コン・ティキ号の漂流記は、少年時代に夢中になって読んだノンフィクションものの一つで、今に至る社主の人類学への関心もこのあたりに原点がと思い返されます。台湾もの2編も含め、やはり小社の守備範囲とかぶってしまうのは、興味ある分野を掘り下げていくるうちに仕事になってしまう一種の習い性なのでしょうか。


 まあ、素敵なスターであろうと、夢中になるファンタジーであろうと、何かをきっかけにその周辺を掘り下げていくことは人生を豊かにしてくれるのだと思います。ちょっとした出会いにもどこかに通じるドアが潜んでいると思えばこそ、人見知りの社主もふらついているわけです。


 きっかけと言えば、最近ちょっと小さな発見がありました。東京暮らしを始めた頃、唯一のハイテク(?)はソニーのカセットテープレコーダーでした。ラジオもついていてよく聞いたのが、ちょっとけだるいナレーションで60年代前後のジャズなどを聞かせる番組。しゃれたおしゃべりは、大人になりかけた青年の心に世界の奥行きを教えてくれたような気がします。


 そのパーソナリティ「あい・きょうこ」の名が、魅力的な声とともに耳にずっと残っていたのですが、恐るべしグーグル! ちょっとしたきっかけで調べてみたら、1970年代にFM東京で夕刻、丸井ミュージック&モアと言う番組があり、ナレーションは阿井喬子さん、という情報がヒットしたのです。


 しかも、元日本テレビアナウンサー(民放局女子アナ第一号)で、現在、サンフランシスコ在住。料理本などの翻訳を行っている。と続くではありませんか。掘り下げ好きな社主のことですから、翻訳本をさっそく手に入れたのはもちろんのことでした。


 まあ、こんなことをネットに公開してしまうと、以前おぼろげに通信に書いたのですが、今度のアメリカの事件でもうはっきりと言えますね。社主の嗜好がまた一つあちこちで蓄積されているプロファイルに登録されることになってしまいました、と。


 いずれ、ネット考古学なる学問が立ち上がった暁には、珍しい標本として研究されるべく、いろんな矛盾する情報を刻印しておこうかな、なんて野望もないではないのですが、まあ、面倒ですね。残りの方が少なくなった人生ですから、市井の庶民は好きなように生きたいものです。



 さて、またコン・ティキ号に戻ると、社主の父方はどうも瀬戸内の水軍の流れをくむとかで、祖父や曾祖父の世代は北海道の昆布やらの交易に出張り、九州沖縄にも脚を伸ばしていたようです。社主が旅に出るとすぐに舟に乗りたがるのはそのせいらしく、とはいっても、せいぜい長瀞下りとかフェリーぐらいなものですが、ちょっぴり血が騒ぐような気がします。


 でも、先祖は問題の和冦!? などと問われると困ります。家系図が残っているほどの家柄でもないし、もし子孫として歴史認識を問い詰められても答えようがありません。ひょっとして拉致されてきた子孫ということも……。いずれにせよ、さかのぼって清廉潔白な人権家の家系なんて、人類にあろうはずがありません。


 社主的に言えば、国民国家的な線引きなどスパンを変えれば違う風景となるので、目くじらたてて争うよりは、その歴史の至ってきた結果としての今日の価値観を大事に育て守る方がよいのではとなります。違う人生観の方に言わせれば、生きてるうちに得を取っておけ、とか、過去の過ちをただしてこその現在、なのかもしれないのですが。


 セデック・バレや台湾アイデンティティはそういう意味では、国家の線引きによって我知らぬうちに新たに国民とされた人と、我知らぬうちに国民として生まれ育ってしまった人との間に横たわる間隙を見せつけてくれるものと言えるかもしれません。


 映画の持つ表現力は、過去を現在に映し出して人の心や頭脳を揺さぶってくれますが、娯楽として楽しむのもよし、深読みを添えるのもよしと思います。いずれにせよ、所詮は制作者の意図が反映された「過去」であり、ストーリーですから、どんなに「良心的」と評判されても、一定の批判的読解力=リテラシーが必要でしょう。


 ましてや、さまざまな意図がからみあって融通無碍に流転する現実世界、まだ人類の叡智がコントロールできない大きな混沌には、どれほどのリテラシーが必要なのか分かりません。時代や運命に翻弄されるだけの人生は避けたいのですが、お釈迦様の掌の上で得意顔となりがちなことだけは自戒しておきたいものです。


 おそらく、シンプルな人生観、したたかな処世術、たくましい心身、この三本の矢さえあればかなりの困難は乗り越えられると思いますが、すでにというかもともとというか、三本とも「失」みたいな社主としては、風の吹くままに飛んでいくしかありません。




 一部の方からは熱烈に支持されている小社の社員犬タローも、この春15歳を迎えてめっきり老け込んでしまいつつあります。朝夕の散歩もかつてのようにぐいぐいとリードを引っ張る力はなく、近所の坂道を登り切ったらもうトボトボ。帰り路は倍以上の時間がかかります。


 ドッグイヤーも成長期には嬉しいものですが、老年を迎えるとそのスピードはいささかこたえます。命の衰えゆく様を、やはり犬らしくいささかの誤魔化しもなく文字通り全身全霊で生きて、まあ、パートナーである私どもにあますところなく見せてくれているのです。



 まだまだ捨てたものではないこの世であることを望みつつ、この一年をまた歩んでゆきたいと思っております。どうかさらなるご支援・ご指導をお願い申し上げます。


 本通信の読者の皆さま、そして震災からの復興途上の方々には、本年が希望の年となりますよう、心より祈念いたしております。



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