年々歳々

2016年4月25日月曜日

花相似たり、とはいいますが、自然がいつもいつも同じであるとは限りません。地震・異常気象が続くこの頃では、いつ何時、自然の常ならぬ変化に翻弄されるか分からないことを思わされます。


熊本の被災者の方には、心からお見舞い申し上げます。


さて、天災も怖ろしいけど、人災もということを最近観た映画で改めて思い知らされました。倉岡明子「だから まいにち たたかう」。パレスチナを何度も訪問して10数年がかりで作り上げたドキュメンタリー作品です。


個人として訪れ、人と会い、現場を見る。けっして撮影チームを組んで、シナリオにしたがって作った作品ではなく、一歩一歩進んでいくうちに積み重なった映像と経験が、いつのまにか結実した、そんな作品です。


ハンディカメラなどで撮影しているのですが、映像がスマホで撮ったように手ぶれがあったりするので、かえって自分がそこにいるかのような臨場感をあたえて圧巻でした。


地震は神のしわざとあきらめることもできるかもしれませんが、ここは近現代が作り出した人災の極地とおもわされます。弾痕の残る建物、瓦礫が転がる道路、そしてイスラエルの建てたパレスチナ自治区との間の巨大な壁。


非日常に満ちた光景はテロ直後のパリのようですが、 人々はそうした街角を歩き、日常を送っています。ただその日常は、突然、銃弾に倒れた男性の葬儀によって中断されます。静かな、怒りに満ちた葬儀現場をカメラは参列者の目線で捉えています。


おそらく、パレスチナの人々だけでなく、イスラエルの人々にもこうした悲しみの光景はあるのでしょう。悲しみと憎しみの応酬、連鎖。そして、このような光景がいまや世界の路上に拡散していることを思うと、たぶん、ここを放置していたことが今日の事態を招いているのではないか、とさえ思えてきます。(福島をなかったことにして進む原発政策のことが不気味に想起されてきます。)


倉岡さんのまるで熟練のフィールドワーカーのような歩の詰め方がこの作品を生み出し、その間合いの詰め方そのものがこの作品の魅力であると感じました。


私には遠い光景であったパレスチナが身近に思えるようになった映画でした。


ツツジ咲く









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