小さい秋  

2012年11月1日木曜日

ようやく気候が季節に近づいてきましたね。のど元過ぎればで、すっかり猛暑・残暑など忘れてしまってますが、ほんとに消耗させられた数ヶ月でした。小社の夏色は、税務調査での騒動に加え、売上げ減少の流れはとどまるところを知らず、夏風邪もいっこうに治らず、そして、仕事の山も相変わらず、と、韻を踏んでの踏んだり蹴ったりで記憶されそうです。


そこに持ってきて、日本を取り巻くアジアの動きのきな臭さは、これが21世紀の素顔かと思わせる、「歴史の劣化」をあらわにしています。19世紀や20世紀の安っぽい復刻版のような「国家」たちの粗暴な振る舞いを見ていると、いったい人類社会はこの近代をどう通過してきたのか、とため息をつきたくなります。楽観的な進歩史観に与するものではない積もりですが、劣化しゆく歴史を目の当たりにして、あの時代がなんと懐かしく見えることか。


まさにおのれに相応しい人生を、自社会にふさわしい歴史を、我々は担うものだと悟らざるを得ません。


しかし、我々の世代は戦後の貧しさから高度成長、バブル、失われた20年と、ちょうど人生の軌跡が国力の推移と重なるように時代を過ごしてきました。三等国の悲哀も少しは知ってますから、バブリーなプライドなど持ち合わせていません。いざとなれば、すべてをかなぐり捨てて、生存という生物の唯一無二の命題に立ち戻る自信すら、なんとなくあるほどです。


であれば、人生のたそがれ時にこうした時代を迎える不幸も、まあ言ってみれば「小さな秋」です。歴史はもっとすさまじい「秋霜烈日」の日々があったことを教えてくれていますし、我々の人生がよどみに浮かぶうたかたのごときものであることを、多くの先人はさまざまに記してくれています。


歴史の教訓も、虫歯やノドに刺さった骨の痛みほどには効めがないのが、人間の悲しい現実ではありますが、もっと大きな痛みに耐え抜いた人間も立派にいるわけですから、いっぱひとからげにダメだしせず、まあ、人には寛容に自分には厳しくという心がけで歩いていくしかないのでしょうね。


人間の本性には神も悪魔もいると思えば、なるべく神を、いやその子分でもいいから呼び出すような振る舞いをしていきたいものです。


不思議なことに、毎夏、げっそりと痩せてしまう社員犬タローは14歳の高齢にもかかわらず、いたって元気にこの夏を乗り越えてくれました。老境に入って暑さすら感じなくなったのでしょうか。それがまさに鈍感力であっても、彼の成長であると信じたいと思います。そして、社主も見習うべく持ち前の「力」にせいぜい磨きをかけることといたしましょう。

椿の実









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